25期を終えて

28歳の6月30日付、地方私立大学卒業後新卒社員で採用してもらったリクルートを退職。

平成9年8月1日、若さを可能性と思い込み、意気込みだけで有限会社グリーンロード(社名は私の周りが緑と花であふれるような潤いのある生活を提案していきたい、歩いていく道が緑にあふれるようになりますように、と願いを込めてと名付けた)を資本金300万円で設立した。自分で営業して注文をもらい、せっせと早朝トラックで、大田市場へ仕入れに行って、自分で配達。どこにでもある花屋。そんな中で一人二人と社員が増えて行った。

今やその私も53歳、髪の毛にはかなり白いものが混じっている、そんな年令になった。まだまだ老け込むつもりは全くなく、さあ、ここからだ、と至って本人はやる気まんまんで周りを辟易とさせていることも重々承知しているものの、人生100年時代、折り返し地点やっと過ぎたとこ、だと思って日々の仕事に取り組んでおります。

前に進むしかなかったので、当たり前のように今までやったことのないことに取り組んできた。ネームブランドがなくてもサービス面や価格面、その他の関係性や取り組んだ工夫で他の花屋に勝つことが面白くて、そのことが業界の先輩方々からは非常識だとか業界慣習では、と言われる要因でもあった気がする。いい事もあったし、かなりのノイズも耳にする。振返ってみると、9.11やリーマンショック、コロナ禍など、本当に世の中全体に大きく影響する出来事に出くわしてきた。その都度、慌てふためき、震える気持ちを鼓舞してなんとかやってきたように思う。

コロナによって、人の出入りの抑制をしなければならない中、色んな花屋が、企業に個別で花を届けに来ることが感染拡大の一つの要因にもなった。そこで弊社で一括受注、デザインの作成から納品までワンストップで行ってみると予想外の高評価。

「これは新しい形の法人花送りの仕組みだ」と息巻いている。

20年以上残ることのできる会社は確率で0.3%だそうだ。

こうして仕事していられるのも、手垢のついた言葉になるが普遍的にお客様、従業員、そのほか生産者方々含め周りの皆様のおかげとしか言い表しようが他にはない。

25年間本当に有難うございました。26年目も何卒、宜しくお願い致します。